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東京高等裁判所 昭和46年(う)831号 判決 1971年8月05日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役四月に処する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人原長一、同佐藤寛、同桑原収、同末光靖孝、同田中清治、同青木孝連名提出の控訴趣意書記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。これに対する当裁判所の判断は、次のとおりである。

控訴の趣意一について。

所論は、原判決は審判の請求を受けない事件について判決をした違法があり、右違法は判決に影響を及ぼすことは明らかであるから原判決は破棄を免れない。すなわち、本件起訴状記載の公訴事実第一は、被告人が「対面進行して同交差点を右折中の秋葉照男(当四九年)運転の自動二輪車に気づかず、前方約六メートルに接近して初めてこれを発見したが、避譲措置をとる余裕なく同車に自車を衝突させ」た旨の事実であったのに、原裁判所は訴因変更の手続を経ないで、罪となるべき事実の第一として、被告人は「同交差点を小台橋方面に左折するため、同交差点中央付近で一時停止をした秋葉照男(当時四八年)運転の自動二輪車にあらかじめ気づかず、その手前約六メートルに接近して初めてこれを発見したが何らの避譲措置もとり得ないまま同車に自車を衝突させ」た旨の事実を認定判示した。なるほど、公訴事実主張の被告人の過失は、前方注視不十分であり、原判決も同様の過失を認定している。しかし、前者は対面進行してきて交差点において右折せんとする自動二輪車を認識すべきであったのにこれを看過したというのであり、若し被告人が前方注視義務を尽したならば右折しようとする自動二輪車を認識し得たということになるに対し、後者は、自動二輪車が左折せんとしていたものであり、同車が左折するということはそれまで被告人車輛と同一方向に向かって進行していたことにはなろうが、被告人車輛と自動二輪車とがそれまで並進していたのか、或いは前後して走行していたのかは明らかではない。もし、自動二輪車が被告人車輛より遅れ又は並行して走行していたのであれば、被告人に前方注視義務違反の責任を問うことは不可能を強いることになり、過失傷害の結果発生に関係のない注意義務を課することにもなる。従って、被告人にとって前方注視義務を尽せば、被害自動二輪車が発見し得たものであるかどうかは、被害自動二輪車を対面進行してきて右折せんとしたのか、或いは被告人車輛と並進して左折せんとしたのかの事実の確定をまたなければ判断できない。これはまさに被告人の過失の有無を認定するうえで極めて重大な事実である。しかるに、原裁判所は、訴因変更の手続をとらないで、被告人の防禦方法を奪ったまま、た易く被害自動二輪車は左折せんとした旨認定した。このような事実認定が刑事訴訟法上許されるとすれば、訴因の機能を全く無視することになり、かつ不告不理の大原則にも悖ることになる。よって、原判決は破棄を免れない旨主張する。

よって、原審記録を調査のうえ案ずるに、所論指摘のとおり、原裁判所は、訴因変更の手続を経ないで、起訴状記載の公訴事実の第一では被害者が「対面進行して同交差点を右折中」であったという事実に対して原判示罪となるべき事実の第一では被害者が「同交差点を小台橋方面に左折するため、同交差点中央付近で一時停止をし」ていた旨認定判示しているのである。ところで、本件起訴状に訴因として明示された被告人の過失の内容も、原判決が判示した被告人の過失の内容も、ともに、被告人は「自動車運転手として前方を注視し、進路の安全を確認しつつ進行すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、助手席に同乗していた堀チカ子と雑談をしていて、前方を十分注視しないまま漫然と前記速度(時速約六〇キロメートル)で進行した」点に過失がある、すなわち、両者は被告人に対し、前方注視不十分という同じ過失責任を問うているのであるが、両者は抽象的には同じく前方注視不十分な運転上の過失であっても、所論指摘のとおり、若し被告人において前方注視義務を尽したならば、如何なる被害者の動静を認識でき、如何なる結果の発生を回避すべき手段を執るべきかの前提事実には差異があり、ひいては過失の具体的内容程度について両者には重要な相違が生じてくるものといわなければならない。そして、このように検察官が主張する具体的過失の態様と異なる過失の態様を裁判所が認定することは被告人に対する不意打となり、その防禦に実質的な不利益を与えることも十分あり得る。すなわち、原審は被告人に起訴状の公訴事実と異なる具体的な過失責任を問うべきであるというのであれば、先ずそのように訴因を変更させ、過失の具体的内容を明確にしたうえ、被告人をして尽さすべき防禦は十分尽させた上審判すべきであったということになる。してみれば、原裁判所が訴因変更の手続をとらないで原判示第一の如き判決をしたことは違法であり、この違法は判決に影響を及ぼすことも明らかである。もっとも、原審記録および当審における事実取調の結果によれば、原判示第一と同趣旨に帰する犯罪事実を肯認すべき筋合とはなるが、しかし、原審の訴訟手続には前叙法令違反のかどが存するので、原判決は破棄を免れず、右所論は理由があることに帰する。

よって、本件控訴は、所論その余の点について判断するまでもなく、理由があるので刑事訴訟法第三九七条、第三七九条に従い、原判決を破棄し、さらに当審において検察官は訴因の予備的変更をなし、かつ、被告人側も原審以来問題点については防禦の手段に欠けるところもなかったと認められるので、同法第四〇〇条但書により、当裁判所において直ちに判決することとする。

(罪となるべき事実)

被告人は

第一、自動車運転の業務に従事しているものであるが、昭和四五年一月一〇日午前一時二〇分ころ、普通乗用自動車を運転し、東京都足立区小台二丁目四六番六号先の道路を、西新井橋方面から江北橋方面に向かい、時速約六〇キロメートルで進行し、同所先の交通整理の行なわれていない交差点を直進しようとしたところ、自動車運転手として前方を注視し、進路の安全を確認しつつ進行すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、助手席に同乗していた堀チカ子と雑談をしていて、前方を十分注視しないまま漫然と前記速度で進行した過失により、おりから対面進行して来て同交差点を行き過ぎて方向転換して約三〇メートル引きかえし、同交差点を小台橋方面に左折するため、同交差点中央付近(道路左側端)で一時停止をしていた秋葉照男(当時四八年)運転の自動二輪車に気づかず、その手前約六メートルに接近して初めてこれを発見したが、何等の避譲措置もとり得ないまま同車に自車を衝突させ、よって、同人に対し加療約三週間を要する左顔面挫傷等の傷害を負わせ

第二、前記日時・場所において、前記のとおり、自車を前記秋葉運転の車両に衝突させ、同人に傷害を負わせる交通事故を起こしたのに、直ちに運転を停止し、負傷者の救護等法令に定める必要な措置を講じなかった

ものである。

証拠の標目≪省略≫

(法令の適用)

被告人の判示所為中、第一の点は、刑法第二一一条前段罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に、第二の点は道路交通法第七二条第一項前段第一一七条に、それぞれ該当するので、所定刑中、前者につき禁錮刑後者につき懲役刑を各選択し、以上は刑法第四五条前段の併合罪であるので、同法第四七条本文第一〇条に則り、重い判示第二の罪の刑に法定の加重をなした刑期範囲内で諸般の情状に鑑み、被告人を懲役四月に処し、原審における訴訟費用については刑事訴訟法第一八一条第一項但書を適用してこれを被告人に負担させないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 井波七郎 判事 足立勝義 丸山喜左エ門)

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